问题: 趣味日语
诺贝尔文学奖得主川端康成在获奖致辞,全文用典故堆砌而成,彻底让全场的听众听的云遮雾罩,文章的题目就将他的翻译,精通日语和日本文学的G.爱德华先生弄糊涂了《美しい日本の私》,这到底是说我美丽,还是日本美丽?G.爱德华先生只好翻译为:美丽的日本的我.这让大师感到非常遗憾,那么它到底应该怎样翻译呢?
《美しい日本の私》,尽管不太合乎语法.
解答:
这个问题真的有点 趣味日语 的意思。
连两代日本诺贝尔奖得主都围绕这方面趣味了一番呢。
后来受赏的大江健三郎的受賞演説の題「あいまいな日本の私」就是对前辈的「美しい日本の私」的趣味回应。
现实生活中,日语本身就是有很多暧昧模糊的语法表现。有些说法须在当时的对话氛围中去理解,才能够明白领会其中的意思。
就是所谓的「日本語あいまい」。
摘录一段日本駿河台大学経済学部「秋山洋子」的论文「日本語はあいまいか」作为解释,也许能更有说服力。
日本語には日本語の論理があると同時に,日本語が陥りやすい落し穴も存在するからだ。たとえば,おなじ川端康成でも,ノーベル賞受賞記念講演の題,「美しい日本の私」は,日本語のあいまいさが悪くあらわれた表現だ。日本語の文法構造では,形容詞はあとに来る単語であればかなり離れていても修飾できる。だから,「美しい」は,「日本」にかかるとも「私」にかかるとも解釈できる。の」という助詞も,英語のofに比べて使える範囲が広く,意味を限定するのが難しい。この場合は,存在(例=京都の姉),あるいは所有の主(例:私の犬)と解釈して,「美しい日本に存在する/所属する私」という意味だろうと推測できるが,もしかして川端先生は「日本に住む美しい私」といいたかったかな?などと意地悪な連想も可能である(日本語には掛詞という伝統もあることだし)。
所以说,「美しい」要修饰的是「日本」、而不是「私」。
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